NPO法人 SC大阪エルマーノ
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本間勇輔
作曲家  TV、映画などの映像音楽を多数手がける。
早稲田大学商学部出身
TVドラマ 古畑任三郎 僕の生きる道 私の青空 etc.
映画    THE有頂天ホテル 笑の大学 etc.
報道、アニメ、舞台など各方面で活躍中。
最新作として 僕の歩く道 10月10日10時スタート
          (フジ、関西テレビ)
         バブルへGO! 
          (2007年2月公開 東宝)などがある。
 
 ■part 4  2010.04.13更新
 本間さんが2010年4月に発売のサッカーマガジンで載りました。
本間さんのサッカーに対する情熱が紹介されています。
 
記事より
 福岡県八幡市(現・北九州市)生まれという話から、メキシコ五輪銅メダリストの一員だった名ゲームメーカーの話になった。
「宮本輝紀さんが大好きだったので、新日鉄の応援しましたね」

 中学生だった1965年、JSL(日本サッカーリーグ)が発足。4連覇した東洋工業(現マツダ・J1広島の前身)と2年連続で優勝を争った強豪、八幡製鉄(70年から新日鉄)の中心選手が、宮本輝紀氏(故人)だった。
 サッカーを知ったのは、熱心な小学校の先生と遊んだ8歳の頃。中学でも、夏はバレーボール、冬はサッカーと、決して本格的とはいえなかった。そのためか、高校では「サッカーだけしか考えなかった」ほど、夢中でボールを追い続けた。さらに好きなサッカーを続けたいと、早大へ進み、憧れの存在だった、釜本邦茂の後輩となった。
「東伏見(早大グラウンド)へは行きましたが・・・」。しかし、高校時代からの足のケガや、アルバイトが必要になったことで、結局は入部せず。
 やがて、「幼い頃、家にバイオリン、ギター、オルガンがあって自然に始め、弾けるようになった」という音楽への道へと、人生は大きく向きを変えた。授業、音楽サークル、そしてバイト。サッカーは、すっかり縁遠いものとなった。
 その後、音楽を生業とし、すっかり業界の人となった80年代初め、サッカーへの思いが10数年の眠りから呼び覚まされることになる。
 そのとき、本間のサッカー経験を知った人に、レコード会社とテレビ局のサッカー部の試合に誘われる。さらに、部員の一人から「息子のクラブチームのコーチに」と頼まれ引き受けたのが、あざみ野FC。のちに横浜FMの水沼宏太や金井貢史、東京Vの高木俊幸、善朗兄弟らが育った横浜のクラブだ。しかし、いざ指導を始めると、自らの技術やノウハウ不足を痛感し、毎日の走り込みとコーチの勉強も始めた。
 指導者ライセンス取得は50歳になってから。それまで「ライセンスなんて」と軽視していたが、C級を取ったクラブの教え子たちの話す内容が変化したのに驚かされ、C級、さらにB級を受講へ。若き受講者も、年下の講師も、ことサッカーには熱い人ばかりで、人脈が広がっていくのが喜びだった。
 そして、JFAのオランダ・ドイツ研修の際に知り合った大原礼三氏が率いるSC大阪エルマーノのコーチを務めることになる。そこで、大原氏からC大阪の宮本功事業部長(当時・現育成部長)を紹介され、「セレッソ大阪で一緒に世界を目指そう」という思いで2人は意気投合。08年9月からC大阪のスタジアム演出、チームのアンセムの作曲も手がけるスタジアムマスターに就任、現在に至っている。
 音楽の世界にいれば、余裕を持って暮らしていけたかもしれない。しかし、「それを上回る魅力が、ここにはある」と微笑む。「セレッソ大阪の持つブランド力を戦略的にチームの成功にどう導くのか。その方法論としてのスタジアム演出をしたい」、「一番望ましいのはサポーターが、スタジアムの雰囲気をつくること」、「レストランや映画に行くように、週末は長居で過ごすんだという感覚」。スタジアムマスター本間が抱く熱い思いが、ひしひしと伝わってくる。
 去る3月13日、4年ぶりの大阪ダービーの前日、サポーターとのスタジアム演出ミーティングを終えた本間は、「サポーターと意見交換し、一緒に勉強し、成長しながら進んでいけるのがすごくうれしい」と笑顔を見せた。
 「セレッソ大阪という名前を聞くとドキドキ、ワクワクするという人が多くなればなるほど、セレッソ大阪の考えは地域に根付き、そこに文化ができる」。
 本間とサポーターが描く未来予想図の実現は、決して遠くはない。

 
ほんま・ゆうすけ/1952年6月6日生まれ、福岡県八幡市(現北九州市)生まれ。釜本に憧れて早大へ進んだが、在学中から音楽の道へ。「ひらけ!ポンキッキ」や子供向けドラマの音楽担当などを経て、ドラマ音楽で最初の成功がフジ「古畑任三郎」シリーズ、以降「僕」シリーズ3作、NHK「私の青空」ほか、映画「メッセンジャー」「笑の大学」「THE有頂天ホテル」ほか多くの音楽を担当。JFAのフットボールカンファレンスでは、2回連続プロデュース。08年9月にC大阪のスタジアムマスターに就任。スタジアム演出やオリジナルアンセム作曲を担当している。同年、JFAのB級ライセンスを取得し、サッカーコーチとしても活躍する。
 
 ■part 3  2007.9.13更新
 
エルマーノの皆さん、韓国遠征、U-17W杯観戦お疲れ様そしてお世話になりました。
その時に感じたことを音楽的見地からレポートしてみます。
 
8月22日 ハイチvsフランス 1-1
両チームともコレクティブに戦い、個の力も時折見せるが、似たもの同士の平凡でオーソドックスなゲーム。
ハイチは過去仏領であったせいか、選手も指導者もフランスに影響を受けているように思えた。
どちらもこれ以上負けられない対戦も次の予測がつきやすく、得点シーン以外はあまり見るものもなく即興性に乏しい試合だった。
両チームとも個の力があるにもかかわらず、プレーそのものは単調で抑揚のない表現に留まっているように見え、あたかも凡庸な室内楽を聴いているような感じを受けた。
特にフランスはしっかりした伝統のもとに、構築されたサッカーをやろうと意図は見えたが、個の表現つまり美を創造する意識の高さを欠き、かれらのサッカーをチーム全員でオーケストラのように奏で、そして闘うという高度なレベルでのアートを体現出来ずにいた。
その中でも、僕の好きなタイプの主将で小柄なボランチの6番は日本人も目標にすべき選手であるが、フランス人作曲家モーリス.ラベルのボレロの展開部のように、流れやリズムにもっとアクセントをつけて欲しかった。
一方ハイチは、カリプソ音楽の持つゆったりしたテンポの試合運びで、勝つためにはスチールドラムの連打のようなアクセントと厚みが必要であったが、残念にも単調なリズムキープに終始してしまった。
しかし、ハイチサポーターは友好的で周りの観客にも素敵な応援タオルを配ってくれ、試合というコンサートを盛り上げてくれた。


      日本vsナイジェリア 0-3
試合後、思わず「ジャズとクラッシクの違いかな」と言ってしまったほど、局面での即興性の違いを感じたゲームだった。
別の見方をすると、日本はジャムセッション中にナイジェリアの繰り出すリズムやテンポの自在な緩急、ダイナミックス(強弱)の対応に疲れてしまい、試合の和声を持続するだけの演奏家と化してしまったとも言える。
ナイジェリアのボール奪取後のポゼッションやオフェンスには目をみはる物があった。ヨコからタテ、その逆、ワンタッチ、ドリブルなどを織り交ぜ、中盤における時間とスペースを創り出しながら、FWの動き出しにタイミングを合わせたラストパスへと繋げる連続したプレーには何度も驚かされた。
特に狭いスペースでのタテを入れるタイミング、そして受け手のプレッシャーを受けながらのスキル(ワンタッチパス、ターン、意図のあるワンタッチコントロール)など同年代の国内試合ではあまり観ることの出来ないシーンであった。今更ではあるが、動きながらの正確なボールコントロールが出来てはじめて、世界と闘うことが可能になると痛感した。
日本は善戦した。6月にも対戦したが、0-5という結果で出場選手もほぼ同じ。
前半、城福監督、選手たちは充分に対応できていた。端戸選手の決定機、斉藤学選手のウチへのドリブルなどがあり、後半に向かい多いに期待を持たせてくれた。
後半の失点はいずれもミスが原因となった。疲れから来るためか、ボールは動かしても人は動かない状況が何度も訪れ、失点へと繋がってしまった。特に3点目は同グループの状況からいって痛かった。それは日本がオーケストラではなく、コンボバンド(小編成)になった瞬間であった。ゴールは遠くなった。

日経新聞にカズ選手のコラムがあり、それにはサッカーを音楽に例え、欧州サッカーは組織的オーケストラ型、ブラジルはジャズ、サンバのようにいろんなものをミックスし何かを即興的に生み出すものと書かれてある。同意!
さらに「楽譜通り進めていくものは模倣しやすく、即興的なもののまねは難しく、分析しきれない」、と言う。
この事は我々音楽家が日々模索し思考しているもので、カズ選手にむしょうに逢いたくなってしまった。     つづく
 ■part 2  2006.12.4更新
 
エルマーノの皆さんお元気ですか?

11月3日 お山の大将ばかり!
JFAアカデミー福島の最終セレクションを見学。
日本中から選抜された6年生32名(GK4名)が集まり、
その日は8vs8のゲーム形式で行われました。
技術、スピード、体格に恵まれた上に、ゲーム中の
コーチングの声も指導者並みのレベルでした。
特に、スペースの見つけ方、動き出し、パスの
精度など、スーパー小学生の個の力に驚くばかりでした。
後日、田嶋幸三氏に「指導法によって、そのレベルの
選手の育成は可能ですか?」とお伺いしたところ、
「選手自身が試合、練習を通じ見つけ出すもの。」とのお返事でした。
選手が見つけやすいオーガナイズを、僕ももっと勉強しなきゃ。
ちなみに、2時間ほどのセレクションに往復8時間も車中。
11月5日 オシム監督を呼んでくれました!
ジェフ千葉 祖母井GMの講演。
クラブハウスにまず必要なもの=パブ、レストラン
スポーツの意味=グッドフェロー(良い仲間)
底辺拡大した現状とその質?
サッカー文化のあるべき姿。など
興味のあるお話ばかりでした。

知人より11月末から12月にかけて欧州観戦のお誘いを
受けましたが、仕事のため断念。残念。
しかし、今月下旬は横浜遠征にいらっしゃるエルマーノの皆さんとの再会、
さらに、年明け大阪でのフットボールカンファレンスと楽しみがいっぱい!
大原さんにも知り合えたし、最高の一年になりそうです。


   本間勇輔
 
 ■part 1  2006.10.9更新
エルマーノSCの皆様及びサポーター、ファンの方々、初めまして!

2006年3月 成田空港にてレザーパンツのちょいワルオヤジ風な
男性に 一杯の飲みませんか?と声をかけて見た。
ショルダーバックのタグに興味を引かれたのです。それは、
JFA ドイツ レバークーゼン研修への出発集合後の出来事でした。
団体行動が苦手な二人なのか、誰よりも早くチェックインを終え、
アルコールを求めてめぐり会ってしまったのです。
その男性は関西弁で 大原です。と名乗りました。
思ったとおり研修生で、サッカー談義に花が咲きっぱなしでした。
約一週間のドイツ滞在中、大変仲良くして頂き、大阪、東京と
場所を変えながら現在もお付き合いさせて頂いています。

僕は音楽を仕事にしながら、コーチ暦25年のフットボールピープルです。
C級ライセンスを持ち、横浜 あざみ野FC、東京 麻布中サッカー部などの
指導暦があり、現在もサッカーの普及発展に音楽家としても貢献できるように
活動中です。曲もU-6 、JFAアカデミーなどに提供しており、
2050年日本大会でのアンセムをと、夢見ています。
頻繁に、仕事にかこつけて、あるいは指導のかたわら国内外を飛び回り勉強してます。

そこで観たもの、感じたことなどをエルマーノさんのホームページをお借りしまして
お伝えできたらと思います。皆様、今後とも宜しくお願いします!

  Y.homma
 
 
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